ヤマとニヤマ

アンマのところに日本人のスワミ、ヴィヴェーカと言う方がいらっしゃいます。そのヴィヴェーカは、このところ1ヶ月に1回、インドからサットサンガで色々と良いお話をしてくださっています。

基本第2週がヴィヴェーカのサットサンガです。

日本人であるスワミが語る言葉は、日本人である私たちにとても沁みるお話しです。

ウイークリー サットサンガ(ライブ配信) | 日本MAセンター (macenter.jp) 

 

74日のお話の中で、心に留まった言葉がありました。信仰心と言うのは、過去世における多くの蓄積によってもたらされるものですが、信仰心を失うには、ちょっとしたことで失うことになるということです。

そして、一度失った信仰心を取り戻すことは、とても難しいことです。

つまり、アンマに出会い、アンマの仰っていることが心に沁みるということは、過去世において、自分に繋がっている魂が、多くの積み重ねをしてくれたおかげだということです。

その積み重ねによる縁もあって、今、信仰の道が開いているということです。

そして、また、信仰心を失うためには、ほんの一瞬気を抜くだけで、何生も掛けて持ち上げてきた岩が、ゴロゴロと転がり落ちるように失われてしまうこともあるということです。

 

今回、ヴィヴェーカはアンマがさりげなく語られたことで、凄く大切だと思ったことをトピックとして話してくださいました。

それは、ヤマとニヤマと言うことです。ヨーガをやっている人は、よくご存じのことですが、ヨーガには、サマーディ(三昧)に至るまでの8段階と言うのがあります。

ヨーガを実際に行う座法(アーサナ)はその第3段階で、そこに至るまでに、第1段階のヤマ(禁戒)と第2段階のニヤマ(勧戒)を経ないといけないのです。

そのヤマとニヤマについてお話をしてくださいました。

これは、仏教においても、語られていることです。

 

ヤマは、禁戒、ニヤマを勧戒と訳されることもあります。

禁戒とは、禁じ、戒めること、勧戒は、善に向かうように勧め、悪に向かわないように戒めることです。

アンマに、もう二十年も瞑想をしているんですけど、何も変わらないんですという人がいますが、瞑想をするだけ、バジャンを歌うだけでは、ダメで、このヤマとニヤマの土台がないといけないそうです。

土台のないところには、何も積みあがらないということです。

 

 ヤマ

1 アヒムサ 非暴力

2 サッティヤ 嘘をつかない

3 アステーヤ 盗まない

4 ブラフマチャリア 禁欲

5 アパリグラハ 必要最小限のもの以外は貪らない

 

ニヤマ

1     シャウチャ 清潔

2     サントーシャ 満足 満たされる

3     タパス 苦行

4     スワーデャーヤ 聖典の勉強

5     イーシュワラプラニダーナ 神を思って瞑想をする

 

ヤマとニヤマには、このように5種類があるそうですが、今回はヤマ(禁戒)5つについてお話ししてくださいました。

 

1     アヒムサ 非暴力

1番目のアヒムサは、非暴力、誰も傷つけないということです。ヒムサと言う暴力に否定の接頭語アをつけてアヒムサです。最初の実践で、最も大切なことです。暴力的な性質を取り除かない限り、心は落ち着かないということです。心を静かにしないと、そこから瞑想に進むことができません。更に、非暴力を実践することにより、より心が浄らかになり、良い性質も増してきます。謙虚さなども育ってきます。このアヒムサは、スピリチュアルな人生を歩むうえで、一番の基本条件になります。

非暴力と言うと、簡単にできるような気がしますけれども、肉体的な暴力だけではなく、私たちは3つの方法で傷つけると言われています。物質的な暴力、暴力的な言葉、暴力的な思いの3つでです。これは、仏教で、身口意と言われているものです。肉体的に暴力を振るわなくても、酷い言葉で傷つけなくても、思いの暴力があることは多いですが、この思いの非暴力を実践することは難しいです。自分に対して自虐的な態度をとることも、イライラして、暴飲暴食をしたりするのも、アヒムサになります。

生きるために食べなさい。食べるために生きるべきではありません。つまり、自分の欲望のための殺生をしてはダメと言うことです。正当防衛もアヒムサの例外に当たります。もし誰かが、暴力を振るわれて傷つけられている時、それを止めることをせずに、見て見ぬふりをしたら、暴力をした、暴力に同意したとみなされます。現代では、難しいことだと思いますけれども、それは、良くないと言ってあげるべきだとマハーバーラタでも言われています。

アンマは、『目覚めよ、子供たち』の本の中で、考え、言葉、行為によって、誰をも傷つけないでください。すべての存在に対して思いやりを持ってくださいと書いています。アヒムサは、最高の法、ダルマです。アヒムサが完璧になれば、その人の前では、すべての生き物が敵意を捨てると言われています。

 

2     サッティヤは、嘘をつかない

サッティヤは、真実を意味しますが、結構多くの人が誤解しています。真実とは、嘘をつかないことだけを意味するのではありません。サッティヤは、真実に向かうために私たちを助け、他の人を助ける真実のことです。それが真実であるということだけで、わざわざ人の過ちを言いにいったりするべきではありません。そして、たとえそれが真実であるとしても、その行為が相手を真実から遠ざけるならば、それはサッティヤではありません。尋ねられない限り、教えないでください。

嘘をつかないというと、言葉で嘘をつかないということかと思いますが、心で考えることと発することとの内容が一致しなければなりません。たとえ小さな嘘でも、つかないように。何故なら、嘘をつきとおすために、次から次へと嘘をつきとおさなければならなくなるのです。そうすると心の中が、偽りでいっぱいになってしまいます。無意識につく嘘も含めてサッティヤです。その実践上のポイントは、あまりお喋りをしないことかもしれません。ですから、常に、正しいことを言うようにしましょう。正しい言葉で言いましょう。そして、人の心を傷つける時は、正しいことでもいうのを避けましょう。

アンマは、真実、サッティヤの力を持っているので、アンマが祈りますと言われたら、それほど強力なものはありません。アンマが心配ないと言われたら、何の心配もしなくていいのです。

 

3.アステーヤ 盗まない

アステーヤとは、盗みをしないという意味です。ステーヤと言う盗むということに、アと言う否定の接頭語をつけて、アステーヤです。最も重要な霊性修行の一つに、この世界から何一つただでもっていかない様にと言うのがあります。この世から何かただでもらえるものがあると思わないで、努力して手に入れるようにしましょう。ちゃんと社会に貢献して、得るようにします。

 

4.ブラフマチャリア 禁欲

欲と言うのは性欲だけでなく、食欲、睡眠欲などあらゆる欲望を表します。ブラフマチャリアと言うのは、感覚的な喜びに溺れることなく、高い目的に費やすことを意味します。お釈迦様が、八正道の中でお話をした、四諦を思い出してみましょう。苦は、煩悩によって生まれるという苦諦(くたい)があって、苦の原因は、煩悩・執着であるという真実である集諦(じったい)。苦しみの原因が滅するという真実である、滅諦(めったい)涅槃と言うものを得るための道諦(どうたい)と言うのがあるということです。感覚的な快楽、欲望と言うのは、一時的な幸せであり、涅槃を得ることができません。苦、煩悩を消滅させればよいと言われています。

それら、ブラフマチャリア、感覚的な快楽、欲望を克服して初めて、私たちは純粋になります。そして、デーヴィの本当の美しさを見ることができるようになります。行動と意図の志の純粋さを表します。私たちにとって、最高のものとは、心の安らぎです。世俗の魅力的な他のものと引き換えに、心の安らぎを決して捨てないでください。

 

5 アパリグラハ 必要最小限のもの以外は貪らない

アパリグラハと言うのは、激しい欲を抱かないということです。貪欲さからの禁欲、つまり、自分に何が必要かと言うことを考え、その必要なもので足りていることを知ることです。ものを維持するために、人生の貴重な時間を無駄にしてしまいます。無駄なものが減ると心や時間に余裕ができます。部屋の空間にスペースが生まれるので、余裕が生まれます。より有効に、お金や時間を自分のために使えるようになるでしょう。外の対象物に対して意識が向かっていると、心の内側に意識が向けられなくなります。

パリグラハには、ものをもらうという意味もあります。貪らないというものに加えて、本当に必要なもの以外はもらわないということがあります。もっと欲しいという欲望が生まれます。人からものをもらうと、その人との関係も変わってしまいます。またもらったことに対して、お返しを考えなければならないでしょう。アンマは、パソコンやチャットで、時間を費やしてはいけませんと言います。

 

本当に、ヤマとニヤマは大事だと思います。

それを沁み込ませるために、私の場合には、修証義を唱えています。

そこでは、布施と愛語と利行と同時が勧められています。

関心のある方は、読んでみてください。

 

まず、悪いことをしてきたことについて懺悔して、その後良いことをできる自分になる努力が始まるということだと思います。