インドの聖者アンマの推奨しているアイアム瞑想と言う瞑想法があります。
日本MAセンターで、時々、土日の丸々2日間を掛けて教えてくださっています。
その内容を詳しく語ることはできませんが、アイアム瞑想に籠められている意味を、コロナウイルスの自粛ムードのこのご時世だから、深く感じるところがあるので書いてみたいと思います。
アイアム瞑想の前半部分は、瞑想に入っていくための準備体操になっています。
身体を一定の手順で動かしていくのですが、その作業によって、身体の細かい状態と向かい合うことになります。
私は、武術的身体操作を使ってヨガをやるという特殊なヨガ、ラージャ・ヨーガと言うのをやっているのですが、ラージャ・ヨーガとは、高度な瞑想の土台になる健康で精妙な身体を作っていくトレーニングです。
それをやっているものの感覚から言うと、その体操部分は、瞑想できるための身体を整えるために深く考え尽されて決められた手順だということが解ります。
身体を動かすことで、身体の部分部分の凝りや違和感に気づくことになります。
瞑想と言うのは、自分の内側にある心や魂と向かい合うことではありますが、心や魂と直接向かい合うのには、難しさがあります。
それに比べて身体の違和感は、耳を澄ませばわかりやすい。
その身体の違和感は、自分の心の癖や周囲に対する間違った反応の仕方の結果として、形成された結果を表すものですが、心自身を見つめるよりもわかりやすいのが特徴です。
身体の声を聞くことで、心の声がおもんばかれるということです。
アイアム瞑想では、最初に身体に意識を向けた後、その身体とは別に、心の自分があるということも意識していきます。
身体の違和感は、心の問題が顕れたものであると同時に、身体と心は別物であることも意識して、その心とも向かい合っていくというのが、瞑想の過程にあります。
そして、素晴らしいのは、アンマを含めた天と繋がっている偉大なる存在との繋がりを促していきながら、最後には、ロカーハ・サマスターハ・スキノー・バヴァントゥと全ての人の幸せを願うことで終わるということです。
30分で全体が終わるように、細かく時間指定も行われているのですが、1日の始まりに、この瞑想をすることで、自分が大いなるものに護られているという実感が持て、生きとし生けるものの幸福を願う気持ちのまま、一日を過ごすことができるところが素晴らしいと思います。
コロナウイルスのために、家族と一緒に過ごす時間が多くなった分、自分自身とじっくりと向かい合って身体をほぐす時間が取れないでいると、すぐに身体が変化を起こします。
三拝をしただけで、二の腕上部外側のエゴの塊が、いつもに増してピキピキ言うようになっていたりします。
人間と言うのは、お互いに交流したがる存在だから、人の間と書くのだと思いますが、コロナウイルスの蔓延を防ぐためには、密閉、密集、密接という3つの密を徹底的に避けて!という専門家の発言があります。
それを避けていては、寂しくなったり、不安になったりするのが人間だと思いますが、それが必要なご時世になり、その中での生き方が問われているということなのでしょう。
アンマのところでも、人が集まって行うサットサンガは中止になっていますが、その代わりに、ネット上のサットサンガが熱心に行われています。
ロカーハ・サマスターハ・スキノー・バヴァントゥ
生きとし生けるものが幸せでありますように
という祈りを、22時に捧げましょうという活動も行われていて、特に重要なこの3週間、世界のためにみんなで祈りましょうという活動の輪も広がっています。
一人でも多くの人が意識を合わせて祈れば、それだけ大きな影響力があると考えての活動だと思います。
身体的に、密着することはできなくても、心は繋がることができます。
一人ひとりの自覚と加害者にならないための行動が問われているのだと思います。
ブログイメージに、桜に雪が積もった写真をアップしました。
これは、同じ公園のその後の桜の様子です。
咲いた桜の花に雪は重たく乗ったけど、雪がなくなっても、こんなにきれいでした。
コロナウイルスの騒ぎが去った時に、よりきれいになった成長した人類でありたいものです。