あけましておめでとうございます。
令和になって、初めての新年を迎えました。
今年の目標は、自分の身に訪れることに丁寧に向かい合っていきたいということです。
昨年の終盤は、辛いダシャー(時期)を過ごしていて、苦しい思いを感じながら過ごしていましたが、辛い時期に辛いのは、放っておくことしかできないけど、それを苦しいと感じるのは、自分が自由意志で勝手に選択してやっていることだと言われました。
辛いというのは、外的な環境によって規定される部分だけれど、苦しいというのは、自分の内的な自由で決めている部分だということです。
それを、きちんと分けて理解することができるようになることが、ラージャ・ヨーガの覚りの一番中核の部分の一つだそうです。
普通の人は、辛い、イコール、苦しいになっていて、その苦しみの中には、必ず怒りがあって、辛いことを苦しむことによって、悪いカルマを積んでしまいます。
辛いと苦しいを一緒にするから、生きることが苦しくなってしまう。
辛いということに向かい合いながら、苦しまないように注意深く生きることで、初めてカルマを浄化することができるということになります。
辛いと思っていたダシャーには、典型的な悪いダシャーもあったのですが、木星期、ケートゥ期、9室の時期の意味する罪滅ぼしの苦行の時期と言うのが、重なっていました。
つまり、過去世におけるカルマの解放の時期が来ていて、それが辛い理由だった訳です。
負債の満期が訪れていたということなのでしょう。
実際に、ラージャ・ヨーガの気づき的には、仙骨と腸骨周りの変化が起こっていて、頭の中にしかなかった仙骨と言うものが、初めて、体感的に存在するようになってきています。
それに伴って、仙骨と腸骨の境目のラインが感じられたり、腰の捻じれがほどけていく気配があったりしています。
つまり、かなり根源的な部分に、変化が出てきています。
数多くの過去世で積んだ悪いカルマが、腸骨周りに溜まっていて、それが微妙にほぐれてきたから、辛さとして感じられるのでしょう。
人生を翻弄するような辛さの時には、それを苦しんでしまうのは、まだまだ仕方がないことかもしれませんが、今のじんわりとした辛さは、丁寧に向かい合えば、苦しみにせずに過ごせそうな気がします。
そう言う弱い辛さを、丁寧に処理していく作業をしていくことによって積みあがった基礎体力によって、放っておけば、苦しみと一体化してしまうような辛さがあっても、一体化しないでいられる自分を作っていけることになります。
普段から、そう言う風に生きていると、適度な辛さが来た時に、ラッキーと思えるようになってくるそうです。
そこまでいくと、普通の人から見ると、驚くほど苦しみの少ない人生になるということです。
9室のダシャーと言うのは、グルの恩恵のダシャーでもあるので、グルの恩寵としての苦しみの経験、カルマの解放による浄化の恩恵を、きちんと受け取るのが正しい過ごし方だということになります。
ちょうど2年前の年末から年始にかけて、初めて南インドのケララにあるアンマのアシュラムで1週間を過ごしました。
そこから深まったアンマとの縁があって、今の自分があるのだと感じる今日この頃です。
皆さまにとって、今年が実りある1年になりますように・・・・・