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辛いダシャー

 

9月末から辛いダシャーが続いている。

 

その辛いダシャーの終盤に風邪をひいて、なかなか抜けなくて苦しい。

 

これが辛いんですという大きな出来事が勃発する訳ではないが、ずっと重くて苦しい気分が抜けないままです。

 

 

 

数十時間をかけて、チャートを読み込んで、その人のことを思って、20枚以上の鑑定書を書いたのに、メールトラブルなのか、その方に不測の事態が起こったのか、その人と連絡が取れなくなってしまったりして、辛い中、時間を掛けたのにと心が折れる。

 

鑑定を待たせているたくさんの人たちがいるからと、辛い中でも、歩むことは辞めずに一つひとつ進めていく日々。

 

そのために、日常の自分を浄化する時間をおろそかにしがちだったということに気づく。

 

 

 

自分の力で歩き続けるだけじゃない方法もあるんだよとバクティの道を進んでいる友人が言う。

 

確かに、マントラを唱えているだけで、肩の力が抜け、肩甲骨周りが軟らかくなって落ちてくる。

 

委ねる力って偉大だ。

 

まだまだそこが足りないんだと思う。

 

 

 

仏教の真理に惹かれて、それが人生を楽に生きていくための拠り所だと思って、杖にして歩いているのが私の基本的なスタンス。

 

アンマの仰っていることは、お釈迦様の仰っていることと全く矛盾するところはない。

 

お釈迦さまとアンマは同じ世界にいらっしゃると頭の中では理解しているのだけれども、お釈迦様への帰依の気持ちとアンマへの帰依の気持ちが同じものであることが、まだ身体的に腑に落ちるところまで行っていないのだと思う。

 

 

 

アンマから頂いた私のマントラは、そう言う私のことをわかった上で、今のところアンマ命じゃない私が携えていくことのできる意味合いのマントラになっているので、それを大事に抱えて歩いていくしかないのだろう。

 

 

 

自分が何かをしたいという思いが以前より薄くなっていて、求めてくれる人の役に立ちたいという思いに突き動かされて日々生きている感じ。

 

 

 

それでも人の役に立つためには、自分が健やかな状態でなければいけないんでしょう。

 

それを教えるために、今の状態はあるのかな?

 

自分を健やかに保つためには、自分の身体と心に向かい合う時間もきちんと取ってあげなければならないのだという、本当は当たり前のことを深く実感させられる今日この頃です。