アンマの直弟子スワミジのスピリチュアル・リトリートに参加してきました

 

112日~3日、アンマのところのスワミジのスピリチュアル・リトリートに参加してきました。

 

スワミ達の講演会には、なるべく参加するようにはしていたのですが、宿泊してのリトリートは、アンマに深く関わっている人たちが行くものと言う感じで敷居が高かったのですが、去年初めて参加して見て、知らなかった人と同室になって話をしたり、良いものだなと思ったので、今年も参加することにしました。

 

リトリートは桃源台と言うバス停から歩いていける芦ノ湖キャンプ村であったのですが、2日は午前10時ごろから、スワミジの講話があるということで、それに間に合うように出かけたつもりでした。

 

バス乗換案内では、小田原駅から桃源台まで直通バスがあることになっていたのですが、台風の影響でまだ通れない道路もあるようで、小田原駅からまず宮城野営業所前へ出て、そこから仙郷楼前を経由して、桃源台へ向かうしかないとのことでした。

 

宮城野営業所前から仙郷楼前までは、乗り継ぎバスが待っている状態でスムーズでしたが、仙郷楼前バス停では、待てども待てどもバスが来ずに、1時間弱予定の時間より到着が遅れてしまいました。

 

バスがこないのは、どうしようもないので、アンマから貰ったマントラを唱えながら時間を過ごしました。

 

着いてから周りの人の話を聞くと、新宿から高速バスで向かった人も、1時間以上到着が遅れたりして、皆さん、着くまでに大変な思いをした人がたくさんいました。

 

 

芦ノ湖キャンプ村は、この季節は寒いことも多く、防寒体制を整えていったのですが、天気も良くて、温かくて上着が要らない位の陽気です。

 

芦ノ湖のほとりで、スワミジの誘導で瞑想をした時には、湖面がキラキラと光っていて、目を閉じても光が見えて、何とも気持ちの良いひとときでした。

 

スワミジも、「1日こうやって座っていたいね。スケジュールがあるからできないけど」と仰っていました。 (*^-^*)

 

リトリートの間、スワミジがお話ししてくださったのは、様々な神々のお話しでした。

 

『はじめの祈り』の中で語られている内容についてもお話しくださいました。

 

走り書きの一部を書いてみましょう。

 

ブラフマーという創造神がいて、ヴィシュヌ神と言うそれを維持して守る神がいて、エゴを破壊するシヴァ神がいます。

 

シヴァ神が、ネガティブなもの、あらゆる苦しみの破壊者で、グルと言うのは、ネガティブなものを破壊する存在なので、シヴァ神と共通する要素を必ず持っています。

 

 

『はじめの祈り』で語られているものは・・・・・

 

すべての中に偏在している神の足元にひれ伏します。

至高なる姿を私に見せてくださいとお願いいたします。

無智によって生まれた私の盲目を知識と言う杖で開いてください。

そのグルに私はひれ伏します。

 

グルは、無智から来る盲目を開いてくれる人ですが、そのためには委ねることが必要です。

至高なるグルにひれ伏し、委ねる心が必要だということです。

 

 

様々な数えきれないほどの神々がいますが、一番人気はガネーシャです。

 

ガネーシャは、内側の障害と外側の障害の両方を取り除いてくれます。

 

ガネーシャは、宇宙の知性を持っていて、インド占星術の神様でもありますが、私たちの内に住んでいます。

 

大きな耳は、耳を傾ける能力を表しています。

 

一つの耳は他人の話を聞くため、もう一つの耳は、バジャンを聞くためにあります。

 

ガネーシャの足元には、小さなネズミがいますが、それはガネーシャの乗り物です。

ネズミは、私たちの心を表します。

私たちの心には力があります。

 

そのために、余計な問題を作り出します。

心を自分のコントロール下に置かなければなりません。

 

真実しか話さないという力を目覚めさせる必要があります。

 

泥棒するということが習慣になっている人に対して、グルは、真実を話すことだけを心掛けるように言いました。

その泥棒は、王様のものを盗みましたが、王様のものを盗みましたと王様に正直に言いました。

そうすると、王様は、その人を財務大臣に取り上げました。

そしてその人は、泥棒するという悪い習慣を捨てることができました。

 

 

女神の姿を見るためには、純粋さがあれば良いのです。

 

ある漁師が、普通の人間の姿をしているデーヴィに何か望むことはあるかと聞かれて、私は何も欲しいものはありませんが、近所の農家が、雨が降らなくて困っているから、雨を降らせてほしいと頼みました。

 

何か欲しいものはないのかと再度聞かれたので、デーヴィが、お腹がすいた時には、私の家に食べに来てくださいとお願いしました。

家に帰って、奥さんと話をしていたら、アンクレットの音が聞こえて、デーヴィが現れました。

夫婦は、フィッシュカレーを作って、デーヴィに食べてもらいました。

 

このように自分のためには何も望まず、困っている他人に思いを寄せる人は、デーヴィの姿を見ることができます。

 

 

漁師は、先日出会ったデーヴィの姿が見たくて、プラーナヤーマ(呼吸法)を熱心にしているヨーガ行者にも、あなたの姿を見せてあげてくださいと頼みました。

 

漁師の夫婦とデーヴィが3人で、そのヨーガ行者のところに行きましたが、ヨーガ行者には、デーヴィの姿は見えませんでした。

ヨーガ行者は、シッディ(超能力)のためにプラーナヤーマを、尊敬されるためにやっていたので、見えなかったのです。

 

ヨーガ行者は、自分は、一生を賭けて、デーヴィに会いたいと思って修行をやってきて、デーヴィの姿を見ることはできなかったのに、この漁師は、デーヴィの姿を見られたことを知って、何がいけなかったのかを考えました。

 

漁師は、あらゆる望みをなくしたために、聖なる母の姿を見ることができました。

帰依の道、ディヴォーションの道に入ったから、デーヴィの姿が見えたのです。

 

デーヴィの姿を見るためには、ヨーガも、プラーナヤーマも必要ありません。

内側の神と外側の神を呼び覚ますことが、帰依の気持ちを呼び覚ますことになります。

 

 

いろいろな神様のお話しの後、知識と芸術の神様であるサラスヴァティ女神のプージャがありました。

 

勉強道具や仕事道具、芸術の道具など祝福をして欲しい人は、お持ちくださいとのことだったので、いつもインド占星術のソフト、パラシャラーズ・ライトを搭載して使っているPadタイプのパソコンを祝福してもらいました。

 

 

 

朝には、アンマのところで推奨されている瞑想、アイアム瞑想をみんなで一緒にやる時間があって、その後に、ヨーガの時間があって、その後108の御名を唱えます。

 

同じ思いを持って集まった人たちと一緒に、チャンティングしたり、バジャンを歌ったりするのは、心地よいものです。

 

 

 

スワミジがおつくりになったバジャンの新曲『永遠なる喜び』の練習をして、スワミジのフルートと一緒に歌いました。

 

インド的な旋律で、日本語の歌詞をつけるのが、とても難しかったですが、原曲も聞かせていただいて、そのように歌えるようになりたいものだと強く思いました。

 

 

バジャンは日本語で歌うと気持ちが込めやすくて、インドの言葉のバジャンとはまた違った楽しさがあります。

 

119日のスワミジ講演会の前に、合唱バジャンで、『アンマに』を歌いますが、アンマへの思いを心を合わせて表現できたらいいなと思っています。