今日は、あるくと(aruku&)の愛川町健康づくり散策コース&中津川の清流と田園の道を歩いてきました。
このまえ銀河コースを歩いた時に、相模原市立博物館に傘を忘れてきたので、それを車で引き取りがてら、そのまま足を延ばして田代まで愛川町健康づくり散策コースにでかけてみました。
このコースは、愛川町の中津川の一角を、くるっと周るコースになっています。
①⑥田代児童館からスタートして、一周するコースになっていますが、そこには停めておけそうな駐車場がなさそうだったため、田代運動公園の駐車場に車を停めて歩き始めました。
④田代運動公園は、中津川に面した美しい自然環境の中に設置されている公園で、野球場や滑り台のある大きなプールや、テニスコートなど各種のスポーツ活動に利用できる多目的公園になっています。
そこから反時計周りに歩いていくと、⑤中津神社があります。
中津神社の本殿は小さな岩山の上に建てられています。
この岩山は、中津川の流れの移り変わりによって、かつての流路にあった岩山が崩れずに残ったものだと言われています。
コースのスタート地点の①⑥田代児童館です。
そこからの道沿いには、日本ミツバチの蜂箱らしきものや小さなお稲荷さんがありました。
昔の人は、今の人よりも、生死を身近に感じていて、亡くなったものを祀るのが自然な形だったのでしょう。
そのまま進んでいくと、②上原の庚申塔があります。
町内の庚申塔の中で、最も古く1667年に建立されたものだそうです。
庚申と言うのは、庚(かのえ)と申(さる)の組み合わさった日で、この日を特別な日として信仰行事が行われていました。
これを信仰待と言って、塔を建てる習慣がありました。
石塔には、神像とも仏像とも受け取れる像が描かれていて、下部には三猿が刻されています。
隣には蛇も鎮座していて、初期の庚申信仰の形を示す貴重なものだそうです。
③田代城址は、小田原の北条氏の家臣、内藤三郎兵衛秀行の居城で、1569年に武田信玄が小田原攻めの折に落城したと伝えられています。
守護神の八幡社は、愛川中学校の裏の丘、タブノキの木陰にあるそうです。
一周して、愛川町健康づくり散策コース(田代散策コース)クリアです。
地図を縮小して見ると、近くに中津川の清流と田園の道があったので、そこにも足を延ばしました。
中津川にかかる平山大橋の近くに、歩いてしか渡れない③平山橋があります。
登録有形文化財建造物で、相模川水系中津川に架かる三連の鋼製下路式曲弦プラットトラス橋です。
大正2年に左岸一連の鋼製トラスと右岸2連の木造トラスで開橋し、大正15年に木造トラスを鋼製トラスに架け替えられました。
現在は、歩道橋としてのみ利用されています。
橋を渡ってしばらく行くと、①半僧坊のバス停があります。
その近くに、②勝楽寺がありました。
勝楽寺は、曹洞宗のお寺で、開山は天文13年(1544年)能庵宗為禅師と言われています。
この勝楽寺は、奥州奥山方廣寺から勧請した半僧坊大権現が祀られていることから、地元では、平山の勝楽寺というより、田代の半僧坊と言う呼称が一般的なようです。
入口には、禅宗のお寺らしく禁葷酒と書いた石碑がありました。
ニンニクやネギなどの五葷と呼ばれる香りの強いものとお酒は修行の邪魔になるので摂るべからずということを意味するものです。
大樹の杉と銀杏の木立に囲まれた荘厳で美しい山門です。
本堂にお参りをして、修証義を心の中で唱えながらお庭を散策しました。
このコースは八菅山いこいの森の際を7キロほど歩いて坂本に到るコースです。
坂本には、④坂本青少年広場があって、神奈川県花「桜の名所100選」に選定されています。
坂本青少年広場は、昭和40年代から、地元有志が河川区域の町有地に桜の植栽を始め、昭和60年頃、公園としての散策路が整備されて、地域住民の憩いの場として親しまれるようになりました。
桜の季節は素晴らしいだろうなと言う感じで、桜の木がたくさんあります。
⑤坂本のバス停で、コース終了です。
雨の中のウォーキングでしたが、雨の日は人がいなくて、自然やお寺や神社を独り占めできる良さがあります。
後から、晴れた日に同じ道を歩くことも多いのですが、人が多くて趣きが全然違ってがっかりすることもあるので、雨の中のお散歩も良いものです。