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こくぶんじ恋の道

今日は、あるくと(aruku)のこくぶんじ恋の道を歩いてきました。

 

国分寺は、奈良時代に武蔵国分寺が建立された地であり、国府(現府中市)とともに武蔵国の政治や文化の中心として栄えたところです。

 

国分寺駅から西国分寺駅を経由して、国分寺駅に戻るコースですが、今日は、京王線沿線に出かけたついでに行ったので、府中駅から総合医療センター行きのバスで、府中街道沿いを行き、黒鐘公園入口で降りてそこから歩きました。

 

 

黒鐘公園には、武蔵野線をくぐるガードを抜けていけるようになっています。

 

ガードを抜けて進むとすぐに⑥市立歴史公園の武蔵国分尼寺跡があります。

 

ちょうど数人の方が草取りをして整備を行っていました。

 

きれいに保存整備されていて、日本の歴史公園100選にも選ばれているそうです。

 

 

 

道なりにいくと⑤市立黒鐘公園があります。

 

園内には、滑り台など高低差を利用した遊具が設置されています。

 

雨で遊んでいる子供はいませんでしたが、子供たちが喜びそうな公園です。

 

 

 

 

公園の奥には、④伝鎌倉街道があります。

 

この街道は、鎌倉時代に幕府所在地である鎌倉と各地を結ぶ主要道路の一つで、上野(群馬県)と信濃(長野県)方面に向かっていました。

 

そこから引き返して、武蔵野線のガードをくぐり、今度は国分寺方面に歩きました。

 

その道の途中に、⑦国分寺市文化財資料展示室があります。

 

武蔵国分寺は、天平13(741)に聖武天皇が鎮護国家を祈念して、各地に国分寺と尼寺を建立するように命じて建てられたものの一つです。

 

鎌倉時代の終わりごろ、分倍河原の戦いで焼失しましたが、武蔵国分寺は規模が大きく、歴史的にも重要なことから国史跡に指定されています。

 

その⑧武蔵国分寺跡、僧坊金堂、7重塔跡が、きれいに整備されて公園になっています。

国分寺の⑨薬師堂は、建武2(1335)に新田義貞の寄進により、現在の僧寺金堂跡付近に建立されたものが、現在の場所に立て替えられました。

 

⑩国分寺は、分倍河原の戦いで焼失しましたが、享保18年に本堂が再建されました。

 

現在の本堂は、昭和62年に改築されたものです。

 

国分寺の周りは、⑪万葉植物園になっています。

 

国分寺の前の住職が、武蔵国分寺跡を訪れる人たちが、奈良時代の文化や思想を理解しやすいように、国分寺が栄えた時代と同時期に編纂された万葉集に歌われた約160種の植物を例歌とともに展示しています。

歌を詠んだ時代の様子を感じてもらいたいという住職の思いが伝わってきます。

 

国分寺の脇道をいくと、⑫お鷹の道、真姿の池湧水群があります。

 

 

広大な武蔵野台地の国分寺崖線から湧き出ている清らかな水が流れています。

 

 

この湧水は、848年に重い病で苦しんでいた絶世の美女、玉造小町が、「池で身を清めよ」という霊示を受けて快癒したという伝承から、「真姿の池」と呼ばれるようになりました。

 

湧水群の清流沿いは、お鷹の道デ、カラーの花が季節には咲いて美しいらしく、名水百選にも選ばれています。

ホタルの生息地にもなっているようです。

 

 

今日は、その後③西国分寺駅まで歩いて、14スポット中10スポットを歩いてコースクリアです。