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多摩よこやまの道

 

今日は、あるくと(aruku)の多摩よこやまの道を歩いてきました。

 

 

多摩よこやまの道は、古代より武蔵野と相模野の双方を眺められる高台として、また西国と東国を結ぶ交通の要衝として活用されてきたところです。

 

東西に延びる尾根筋には、鎌倉古道や奥州古道、古代の東海道などが縦走、横断しています。

 

 

小田急多摩線のはるひ野駅から、まず丘の上広場へ。

 

ここからは、都立桜ケ丘公園の緑など、多摩市の東側を一望できるところがあります。

 

 

 

それからさくらの広場へ。

 

さくらの季節なら素晴らしい景色でしょう。

 

 

 

 

この辺りの道は、落ち葉が堆積して土に変わった状態の道になっているので、踏みしめるとふかふかしていて気持ちの良い感触です。

 

それから、防人見返りの峠に至ります。

 

ここは万葉集において望郷や別れを惜しむ道筋として防人の妻の心づくしの歌「多摩の横山」が詠まれた歴史的な場所だそうです。

 

防人と言うのは、古代、国防の目的で北九州に配備された兵士たちですが、再び生きては帰れない覚悟の人が、この尾根で故郷を振り返りながら、家族との別れを惜しんだ場所だということです。

 

ここからは、多摩市を一望できます。

 

分倍河原合戦前夜の野営地は、鎌倉幕府滅亡の戦いで知られる分倍河原の合戦前夜に、幕府軍の大軍勢が、このよこやまの尾根で、息をひそめて一夜を明かした場所だそうです。

 

 

 

 

 

 

古道五差路は、野津田や本町田へ続く古道が通っていました。交通の要衝であった小野路の宿を避けて鎌倉へ向かうことのできる近道として使われていたところです。

鎌倉街道の谷と言うのは、現在の鎌倉街道も通っているところで、南北に伸びた自然の谷です。

 

戦乱の時代には、源頼朝や上杉謙信などの軍勢が、この谷を通過したと言われています。

 

鎌倉街道の一つとして、関所を避けた道が、通称鎌倉裏街道と呼ばれていました。

 

この鎌倉裏街道と一本杉公園のスダジイは、一本杉公園の中にあります。

 

鎌倉裏街道は新選組となる土方歳象や沖田総らが、日野宿方面から小野路の出稽古に通うのに使っていた道だそうです。

 

 

道すがら見つけた花々も瑞々しくて、霧雨の中癒されました。