11月13日18:30から、西新宿の常圓寺で行われたスワミジのギーター・クラスに参加してきました。
バガヴァット・ギーターの中の15章の解説だったのですが、バガヴァット・ギーターの中でも、15章は要となる部分だそうです。
バガヴァット・ギーターの中でクリシュナが語ることの中でも、あらゆるヴェーダのエッセンスになるところだそうです。
なるべく多くのものを受けとめたいと、もの凄い勢いで筆記しながら聞いたのですが、その手を休めてスワミジの顔を見てお言葉を聞くと、凄い衝撃です。
微笑みを浮かべて、優しく語っていらっしゃるのに、身体にもの凄い衝撃が来るお話でした。
あ~、壊れる!!
怖い、でも、壊れたい!!
そんな2時間でした。
覚者であるスワミジが、自分自身は完成しているのに、この世に留まって語ってくれると言うことは、自分のいる世界を、広く人に伝えたいからなので、当たり前なのかもしれませんが、凄い衝撃でした。
ラージャ・ヨーガを長年やってきて、やっと身体で法を受けとめられる部分が出てきました。
一緒にラージャ・ヨーガをやっていた人の中では、ラージャ・ヨーガ教室で語られる法を身体で受けとめて、人生を180度に近く変化させていった仲間もいました。
やっと、微妙だけど、身体で法を受けとめられるようになったと言うのは、私にとっては画期的なことです。
ここから先は、私が、頭で受け取ったものを、言葉にしたものです。
間違っているところもあるかもしれないし、実際に直接聞くと、身体に衝撃のある内容なのですが、頭で捉えたものだけでも、何かが伝わるかもしれないと思って、書いておきます。
人生は木に喩えられますが、人は、木の幹と枝と葉しか見えていなくて、何も解らないで生きている。
一番大切な部分である根は見えていない。
木が強いのは根があるからで、木の強さは根っこの強さが支えているのに・・・・・
タイタニックの船長には、小さな氷山しか見えていなくて、それが巨大な氷山のほんの一部であることを知らなかった。
そのために船は破壊されて、大惨事になった。
人は宇宙のことを知らずに旅をしている。
15章は、人生の目に見えない世界についてのお話だそうです。
根が上にあって、枝と葉が下にあるアシュヴァッタの木の絵を見せてくれました。
この木は逆さまになっていて、その人の性質に応じて、枝はあちこちに伸びていて、人生の中でも、上に行ったり、下に行ったりしているけれども、木の幹は、私たちの感情と肉体的な強さを表しているそうです。
木は、コネクション―繋がると言うこととカルティべーション―育むと言うこととコントリビューション―貢献すると言う3つのことを教えてくれています。
木は逆さまになっていますので、高い所にある枝は、神から遠ざかっていて、地面に近い枝は神に近いことを意味します。
そして、根が強くなるのは、瞑想や祈りによって神と繋がっている時だけです。
木の幹は感情的な強さと肉体の強さを育んでくれます。
そして葉や枝が貢献することを意味します。
そのためには強くなければなりません。
まず自分の健康の面倒を見て肉体のコントロールをすること、感情のコントロールをして、精神のコントロールができるようになると、貢献ができる様になります。
木は、発芽してから、大きくなればなる程、魂から遠ざかっていきます。
クリシュナは、根本的な解決方法は、木から切り離されることだと言います。
木を切断して源に戻る、非執着によって戻ると言うことです。
生命の木から切り離されるために、無執着の斧で切り離しなさい。
私たちは所有している限り、心配をしなければなりません。
愛は持って良いけれども、執着は持ってはいけません。
I love you, because・・・・・のbecause以降を持つと、愛が消えていってしまいます。
すべては変化していき、愛も変化していきます。
それは流れる川のようで、一瞬一瞬変化して、好き嫌いも変化して、心は変化していきます。
出納係は、お金のことをきちんと管理しますが、そのお金は自分のものではないので、そこにお金に対する執着はありません。
財産があってもいいけれど、自分のものではなく、神のものだと考えます。
肉体は一時的なもので、なくなってしまいますが、幽体と魂は残ります。
幽体―サトル・ボディに心と行為のすべての情報が入っていて、その人の人格が宿ります。
魂―コーザル・ボディは携帯携帯電話のSIMカードとバッテリーのようなものです。
死というのは、肉体が機能停止することですが、幽体が、また次の肉体を探します。
行き先には14種類の世界があって、良い行為をたくさんした人は、高い世界へ、悪い行為が多かった人は、低い世界へ行くことになります。
木の中には鳥がいますけれども、私たちは木の中に巣を作ります。
善い行いをする鳥は、根に近いところに巣を作り、高い世界に向かいます。
悪い行いの多い鳥は、根から遠いところに巣を作り、低い世界に向かいます。
インドでは、サットヴァ、ラジャス、タマスという3つの性質があると考えますが、サットヴァで純粋な性質があれば、木全体の姿を理解することができます。
ラジャスな性質のあるものは、急な決断をしますが、それは誤っている可能性があります。
タマスな性質のあるものは、決断せずに、すべてを延期します。
誰もが神聖な存在で、3つの性質は、それぞれに役にたちます。
サットヴァは、霊性の修行に役にたちますし、ラジャスは、カルマ・ヨーガを行っていくために必要ですし、タマスは、睡眠するために必要です。
この3つの性質を超越するまでは、輪廻が起こりますので、無執着の斧で切り落とさなければなりません。
あるがままに受け入れることです。
世界があるために根が存在していて、至高なる存在が、存在していることを信じさせてくれます。
人間というのは、一番高い神に近いところにいる存在です。
人間だけが神になることができます。
人生には無限の可能性があります。
まず、良い食べものを適量に食べて、身体を健康にすることです。
コントロールされた生活が必要です。
極端に走らず、コントロールするようにしましょう。
沢山の食べものがある時に、何を食べるかと言うのは難しいことです。
誰もいない時に、沈黙することは簡単ですが、多くの喋る機会がある時に、沈黙することは難しいことです。
舌に良いことを語るようにさせて、悪いことを語って消耗しないようにしましょう。
すべてをコントロールすることが大切です。
ほとんどの思いは、マイナスの思いで、考えるためにはエネルギーが必要です。
色々なことを考えることで、多くのエネルギーを浪費しています。
ポジティブな良い思いを持ち、良い波動を抱けば、それは高速で進んでいきあらゆるものにぶつかります。
そして衝突して返ってきます。
なるべく多くの良い思いを発することです。
マイナスの思いは、呪いとして返ってきます。
敵は、自分の内側にあるネガティブなものです。
内側にある敵を殺しなさい。
殺すことができれば、勝利します。
そうでなければ、輪廻は続いていきます。
7つの上の世界と7つの下の世界があります。
上の世界の中には天国もありますが、天国にいると言うことは、三つ星以上のホテルにいるようなものです。
高い世界にいき、根に近いところに巣を作れても、そこに宿泊するためには、高い宿泊料を払わなければならないので、どんどんお金が減っていきます。
天国に済んでいると、どんどんポイントが減っていってしまいます。
そして、ポイントがなくなると、戻ってこなくてはなりません。
ですから、ヨーギーは、天国に行くことを望みません。
ポイントを拒否して、より高い所に行くのです。
幻のない世界に行き、神と一体化することを目指すのです。
天国も地獄も、幻想の世界です。
善い行いをして、一時的なチケットを貰っても、また戻ってこなければなりません。
ポイントの少ない人は、下の世界に行きます。
そこは、食べものはありますが、設備の少ないホテルのようなものです。
地獄は、26種類ありますが、そこは魂を洗うための洗濯機のようなものです。
たくさん罪を犯した人は、洗濯機に行かなければなりません。
でも、天国へも、地獄の洗濯機へもいく必要はありません。
自分の身体を守り、自分の中にある善い性質を目覚めさせましょう。
人間として生まれたのは、類い希な可能性を持っていると言うことです。
一段上がれば、神になることができます。
人生のあらゆる問題を超越できるのです。
身体をコントロールすることは、神を知るためにも、人生を楽しむためにも必要なことです。
そして、マントラを唱え、瞑想を実践して、心のコントロールをしましょう。
心と身体の両方をコントロールし、エネルギーセンターを活性化すれば、上昇していきます。
それは、家庭生活の中でも、仕事の中でも、可能ですが、練習する必要があります。
無執着を大切にし、すべてのもの、自分のものは、神のものだと思うのです。
自分が持ち主でなければ、リラックスしていることができます。
無執着を体験すると、知識がやってきます。
身体の限界を、超越しなくてはなりません。
アンマや仏陀のような偉大な存在が体験したことは、私たちとは違う次元に目を覚ましたと言うことです。
私たちには、3つの意識状態があります。
目が覚めている意識のある状態と夢を見ている潜在意識の半意識の状態と深い夢のない無意識の状態です。
その他に、超意識の状態があって、それは魂と繋がった状態です。
超意識の状態になると、この世界を、全く違ったものとして見る様になります。
至る所に神を見る様になります。
私たちは、この世界を違ったように見ていて、本当の木を見ていません。
見方が変わると、幻影が去り、すべては神聖になります。
あらゆる隔てが消えていきます。
それが、神を覚った人の状態で、人生のあらゆるものに影響をされなくなります。
クリシュナは、生命の木の説明をしながら、世界の命の説明をしました。
身体と心で、あらゆる限界を超越することができます。
私たちの務めは、心と身体を純粋にして、至高なるものに近付くことです。
すべてのものが神聖であることを受け入れてください。
至福を体験することができれば、人生は幸せに満ちています。
恩寵を得るために、ダルマに従います。
私たちの人生が、私たちの貢献になりますように・・・・・
お話を聞いて、思ったことは、ラージャ・ヨーガをやっていて、本当に良かったと言うことでした。
ラージャ・ヨーガを学んでいくと言うことは、身体のコントロールから始めて、心もコントロールできるようにしていくことでもあります。
それが、本当に大切なことだと言うことが、深く心に沁みました。
ラージャ・ヨーガのラも理解できずに過ごした数年間があったのですが、ラがわかるようになって良かったと心底思います。
意識を通してと言われても、気功のカルマの方が強かったために、す~っと気を通していた数年間があったのです。
やっと意識の身体というのが、解るようになってきました。
鑑定で、ラージャ・ヨーガをお勧めすることも多いのですが、そう言う方は、ホロスコープに才能が示されています。
是非、やってみると良いよ、折角、才能が与えられているんだからと言うのが、私の切なる願いです。