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手が刀になった日

 

もうかれこれ数年間、ラージャ・ヨーガというものを習っています。

 

今日は主人と一緒に受けているラージャ・ヨーガのペア講習でした。

ラージャ・ヨーガって何?と思われる方は、サイトマップから、ラージャ・ヨーガと中医学というところにいってご覧ください。

 

先生から手でブレード()を作ってとよく言われていたのですが、どうも腑に落ちないままで今日まで来ました。

 

私は気功のカルマの方が強いらしく、気を通すことの方が得意だったため、意識を通してと言われても、代わりに気をす~っと通していて、意識を通すと言う本当の意味が解らずに長い年月を過ごしてきたのですが、この1年ぐらい、意識を通すと言うことの意味がやっとわかってきました。

 

ブレードを作ってと言われて、とにかく指先まで意識を通して指を刃のように並べてみて、その掌で切り落としてとやっていたのですが、先生から、意識が通った指が別々に並んでいるだけでブレードになっていないと言われて、じゃあ、どうやるの?と始めて疑問を感じたのでした。

 

確かに、先生や主人の手は、一枚の刃になっているように見えるのに、自分の手は違うと言うのは感じていたのですが、どうしてだろう?とは思っても、どうするのかは解らないままでいました。

確かに今まではそれぞれの指に注意深く意識を通すようにしてきれいに並べてブレードを作ろうとしていました。

 

指の意識じゃなくて、掌を一枚のプレートにしてブレードを作るらしい。

そう気づいてそのつもりでやってみたら、掌がブレードになりました。

 

意識のありよう、自分の中の内的宇宙がまったく違います。

目から鱗という感じの感動でした。

 

手刀を作って上から下へ切り落とすときには、掌のブレードだけでなくて、指先から続いて肘から先の上腕にもブレードが続いている意識でやると、手首が折れて、そこで意識が途切れると言うことも防げるらしいという気づきも得られました。

 

家に帰ってからも、思い出しては掌を切り落としとやっていたら、いつもここが切れてと言われて解らないでいた、耳の側面から落とした鎖骨の辺りに切れようとする感覚が出てきて嬉しくなっちゃいました。

 

今日は私のブレード記念日です。