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修証義解説 第4弾 第1章 総序 第2節 かけがえのない命の縁

 

人身(にんしん)()ること(かた)し、仏法(ぶっぽう)()うこと()れなり、

 

(いま)我等(われら)宿(しゅく)(ぜん)(たす)くるに()りて、

 

(すで)()(かた)人身(にんしん)()けたるのみに(あら)ず、

 

()(がた)仏法(ぶっぽう)()(たてまつ)れり、

 

生死(しょうじ)の中の善生(ぜんしょう)最勝(さいしょう)(しょう)なるべし、

 

最勝(さいしょう)(ぜん)(しん)(いたず)らにして露命(ろめい)無常(むじょう)(かぜ)(まか)すること(なか)れ。

 

 

 

人間に生まれることは難しく、たとえ人間の身体を得たとしても、更に仏法に()えることは稀なことです。

 

今生、私は生まれた時から宿っている過去世でやってきた善い行い(功徳)の積み重ねによる縁によって、地獄・畜生・餓鬼の世界に転生せずに、生まれることが難しい人間の世界に生まれてきただけでなく、()うことの難しい仏法に出遭(であ)うことができました。

 

輪廻転生の中で善い生であり、最高に素晴らしい生にすることもできるのだからするべきです。

 

だから、その最も善い生に生まれたこの身を、朝露のように儚い命を無常の風が吹いて落ちて(死んで)しまうまで、のほほんと朝露でいるのは楽しいよねとキラキラ光って無駄に過ごしてはいけません。

 

 

 

仏教的に言うと、六道輪廻の中で、一番理想的な転生は、人間として仏法が存在する世界に転生することだと考えられています。その次に、仏法のある天界に転生するのが善いとされています。

 

何故、そうなっているかというと、天界は修行が難しいからだそうです。

 

つまり、仏教における好ましい転生先の順番としては、①仏法のある人間界、②仏法のある天界、③仏法のない天界、④仏法のない人間界の順番になります。

 

ですから、人間界というのは、仏法があると天界よりも上で、仏法がないと天界の方が上ということになります。

 

 

 

仏教は、無常・苦・無我と言う3つが一番根本的な世界観になっていますが、天界というのは、基本的に楽しみが多くて、苦しみが少なくて、長寿です。そういうところでは、無常・苦・無我を実感するのは非常に難しいことでしょう。

 

人間の寿命は、天界の存在の寿命に比べて遙かに短いため、人間の世界というのは、病があり、老いがあり、死があると言うのを理解しやすい環境だと言うことができます。

 

そのような仏教の絶対の真理、無常・苦・無我を理解しやすい人間の世界に生まれただけでなく、この修証義を読誦しているということは、出遭うことが難しい仏法にも遭えたのだから、2つの難しい条件をクリアしているんだよねと言っている訳です。

 

その2つの難しい条件をクリアしたのは何故かと言えば、自分に生まれた時から宿っている過去世で積んできた善い行為の果報として持ちこんできた今生の功徳と縁があったからです。

 

 

 

自分のなした悪い行為(悪業)は、直接的に償うことはできません。

 

やったことは消せないけど、その悪業の種類に応じて、やれることは色々とあります。

 

親の恩は返せないと言う言葉がありますが、親が自分を育ててくれた恩は親には直接には返すことはできません。

 

親孝行をすると言うことは、親に対する感謝を表明することで、恩返しではないと言うことです。

 

親に育てて貰った恩は、自分が子供を育てると言う形でしか直接的には返せないと言う部分があります。

 

もちろん自分の子供がいなければ、社会のメンバーとして、社会に生まれてきた子供たちのサポートをすることでも良いでしょう。

 

 

 

今回生まれたよりも、次は善いところに転生しようと思ったら、誰かにして貰ったことよりもたくさん誰かに善いことをして功徳を積むようにしないといけないと言うことです。

 

今回恵まれた条件に生まれても、それを有難いと思って返せるような功徳を積まないと、貯金を取り崩して生きる人生になってしまって、次に今回よりも良い条件で転生することはできなくなると言うことです。

 

 

 

天界は、功徳を一杯積めば上にいけるし、功徳をいっぱい積めば楽しみが増えるので、あたりまえのこととして徳を一生懸命に積む人は天界のカルマが強いと言えます。

 

人間界は、徳は積みやすい世界ですけど、悪業も積みやすい世界になりますので、ハイリスク&ハイリターンのところがあります。

 

でも、命が天界に比べて短いがゆえに、無常も理解しやすいし、嫌なやつもいるから、苦しみも理解しやすくて、仏道を進めていくには学びやすい良い世界になるのです。

 

天界では、欲しいものは功徳によって手に入るので、嫌なやつもいないし、悪業は積みにくい世界で、功徳を地道に消耗していくことでしか寿命が尽きないので長寿です。

 

 

ですから、無常・苦・無我を理解しやすい人間界に生まれて、なかなか巡り遭えない仏法にも出遭えたと言う貴重な機会なのだから、朝露がキラキラ光っていても、風というのは、強さも方向もどんどん変わっていくものですから、いつそよ風が吹いて、こぼれて落ちて消えて(死んで)しまうかわからないのだから、刹那の楽しみに心を奪われて過ごしたり、無駄に時間を費やしたりしないで、功徳を積んだり、次の善き転生に繋がるようなことをして生きた方が良いですよと言うことです。