ホームページの中で、修証義という道元の書いた仏教のすすめ、仏教徒の心得えを書いたものをお唱えすると、苦しみから逃れる真理の道が心に染みてきて、心が落ち着いて良いよとお勧めしてきました。
書き下し文だから、ある程度意味がわかる部分もありますが、どういう意味だろうと思うところもたくさんあります。
私が仏教や修証義について勉強したものを、少しずつブログに書いていこうかと思っています。
修証義というカテゴリーで検索するとシリーズ物になるような形にできたらなと思っています。
第一弾として、修証義を読誦する前に唱える開経偈というところを説明しましょう。
開経偈とは、お経を開くにあたっての祈りの言葉です。
無上甚深微妙法 むじょうじんじんみみょうほう
百千万劫難遭遇 ひゃくせんまんごうなんそうぐう
我今見聞得受持 がこんけんもんとくじゅじ
願解如来真実義 がんげにょらいしんじつぎ
書き下し文にすると・・・・・
無上甚深微妙の法は、
百千万劫にも遭い遇う(あいおう)こと難し、
我れ今(いま)見聞(けんもん)し受持することを得たり、
願わくは如来真実の義を解せん。
と言うことになります。
仏法と言うのは、これ以上の法則がなくて、甚だ深遠でしかも精密で高性能です。
百千万劫と言う、もの凄く長い時間、輪廻転生しても、そういった仏法に出会うことは難しいです。
劫と言うのは、一つの宇宙・世界が誕生し消滅するまでの期間のことを言います。
にもかかわらず、今生、私は今、その教えを見て聞いて、それを修行課題として受けたもつことが可能となりました。
今生、私は、出会うことが難しい大変高度な教えに、今、出会いました。
これは得がたい貴重なチャンスです。
如来(仏陀―真理到達者)の真実の義(如来完成者が説いた真実の教え)は、無上甚深微妙法だから、自分の力で理解するのは大変です。
ですから、お釈迦様、宜しく理解できるように手助けをお願いいたします。
つまり、自分はまだ経典の言葉を正しく理解できていません。
そのために抜け出せない苦しみの中にいますが、その苦しみから抜け出していくために、今の私に理解できないことを、理解できるように手助けしてくださいと、お願い祈る言葉なのです。
謙虚な気持ちで、お願い祈りの言葉を唱えて、修証義の読誦に入っていくと言うことなのです。