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結婚も子育ても分別がつかないうちが一番

 

結婚年齢が上がったことによって、出産年齢も上がって、なかなか子供ができなかったり、できてもトラブルが多かったりという話をよく聞くようになりました。

 

生まれたての赤ちゃんには、夜2~4回授乳を必要とする時期がありますが、20代のうちは、相当に疲れていても、一晩寝れば元気が回復するところがありますが、30代も後半になると、疲れが取りきれないで蓄積してしまうことになります。

生き物としての生命力・体力も、色々な意味で、20代と30代では違ってきます。

 

また、生命エネルギーの問題だけじゃなくて、社会的人格が育ちすぎる前に、結婚や子育てはした方が良いと言う側面もあります。

 

結婚年齢が上がるということは、社会に出てから自分なりの社会生活と言うのを培ってから結婚するということになります。

 

そのため、お互いにすでに培った社会性がぶつかり合うことになります。

 

そこで折り合っていくのが結婚することの大きな意味だと思いますが、確立している自分独自の生活がしっかりしていればいるほど、そうではない部分のある相手の細かいところが気になるということになってきます。

 

自分が子育てをしていた年齢より5歳~15歳上の年齢で子育てをしている人たちを見ていると、子育てはこの時期こうであらねばならないという意識が強くて、それが子育てを楽しめない理由になっている気がします。

 

 

私は25歳で最初の子供を育てることになりましたが、自分の中から出てきて、自分から出てきたもので育っている子供を、もっと動物的な感覚で愛しいと自然に思えていたという気がします。

 

母乳で育てられたという恵まれた条件があったというのもあるかもしれませんが、何も考えないで、言葉では何も伝えられない赤ちゃんの世界に寄り添っていて、それがとても幸せだったような気がします。

 

20代は、社会的人格がまだ未熟なので、本能的に子供に向き合って育てられるところがありますが、35歳を過ぎると、しっかりできあがってしまっている社会的人格で育てようとするから、余計社会的な周りの情報を重視して振り回されやすくなるような気がします。

 

育児書に書かれていることと、我が子を比較するということはその頃でもありましたが、今は、余りにも色々な情報があふれていて、何か月になったら、こうなるものだとか、理想的ではない状況にある人を、つらい状態に追い込むような状況があります。

 

 

首が座るにしても、立って歩くにしても、ラージャ・ヨーガ的に言えば、自然な状態で生まれた子供が、身体のどこかを固めて、できるようになっていく部分があるようです。

 

ある動きをする必要最低限の筋肉しか使わないで、理にかなった動きを失わないで成長する赤ちゃんは、そういう意味での首が座ったりとか、立って歩くとか言うことは通常よりもゆっくりできるようになるそうです。

そういうことが2~3か月とか、半年~1年遅れたとしても、人生において何の問題もありません。

 

 

 

そういう話を聞くと、自分の子育ての時にも、大人の都合で赤ちゃんに随分不自然な要求をしてきただろうなと思います。

 

子育ての時に、手首が腱鞘炎になったことがありましたが、それは、身体と二の腕と上腕で包み込んで、手首は赤ちゃんの動きに合わせる微調整で添えるだけという赤ちゃんにとって心地よい抱き方をしていれば、手首が腱鞘炎になることはあり得ないそうです。

 

 

 

赤ちゃんを抱くときにも、抱く大人が筋肉を緊張させて抱えると、赤ちゃんは心地よくなくて、ぐずったりすることもあるようです。

 

抱いたり抱えたりと言う意味での自分の子育ては、もう終わってしまったのでできませんが、赤ちゃんの相手をする機会があったら、理にかなった自然な抱き方を試してみたいなと思っています。