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スランプ ―柔軟な思考は柔軟な身体でこそ可能になる―

このところ、前に進んでいけない感じがあります。

 

最近、ラオ先生のインド占星術の本の中の事例の検証に取り組んでいます。

その中で、インド占星術においても、知識を積み重ねていくだけでは得られない深みに入っていけないもどかしさを感じています。

 

 

ここ数年、ラージャ・ヨーガという身体操作を習っています。

 

広くやられている関節の可動範囲を広くして、身体の色々な循環を良くして健康になるというヨーガとは違って、身体の使い方を変えることによって身体の使い方・意識を根本から変化させていくヨーガです。

 

私はホロスコープ的にも自我が強く、何でも自分の意志でやっていくんだというところがあって、身体を合理的な自然に任せることが苦手でなかなか進歩せずにきてしまいましたが、身体を自然に委ねて変われるようにならないと占星術の深みには入っていけないという局面に来ているのだと思っています。

 

 

 

インド占星術でも、知識を詰め込んで、鑑定の精度を支えようとする努力をしてきましたが、それでは入っていけないところに入っていかないとこれ以上先にはいけないという状況なんだと思います。

 

身体を身体そのものの合理的な自然に任せることにもっと真剣に取り組まないとダメなんじゃないか?というところに追い詰められたという感覚です。

 

 

 

腸骨と大腿骨を分離させて股関節をフリーにして、肩の力を抜いて、背中の甲羅を少しずつ割っていけば、きっと思考ももっと伸びやかになるに違いないということを夢見て取り組みたいと思っています。

 

カチカチの身体では、柔軟な発想はできませんものね。

 

バリバリに仕事をしていた時は、ある程度、甲羅や鎧の必要性があって、抱えていたのかもしれませんが、それがなくても良い生活になったのだから、甲羅を脱いでもいいよねと思っています。

 

 

 

長い時間一つのホロスコープと向き合って、お会いしていないその人の存在に寄り添って、多面的にその方が知りたいと思っていることの答えを見いだしていくという鑑定方法を取っていますが、その深さと精度を増していけたらと思い、今までの私の感覚からすると足踏みをしてみようかなと思っているところです。

 

 

 

そして、人生で「何で私は、こうなってしまうのだろう?」という思いを抱いている人に、人生で同じ思いを持っているからこそ、改善の糸口を見つける手助けをしたいという気持ちがあります。

 

 

 

インド占星術を学ぶ中で、これほど様々な人間がいるのだということをより理解できるようになりました。

 

生活の中で、「何でこの人はこうなんだろう?」と感じることは多いと思いますが、そのような時に、こういう仕組みで、こういう風に生きてしまうのだということを理解できるようになって、受け入れることのできる人の幅が少しは広がってきたと思っています。

 

自分の視点でしか見ることができなかった対人関係も、チャートを理解することによって、その人は自分のカルマを精一杯生きているのだと受け入れられるようになりました。

 

 

 

インド占星術は、古代の聖者が、おろしてきてくれた占星術です。

 

神の視点で世界を見る手助けをしてくれるものだと思います。

 

そんなインド占星術を、一緒に学びませんか?

 

あなた個人によりそって、あなたにあったやり方で、個人指導を行いますので、お声をおかけください。

 

発展途上のインド占星術家ではありますが、あなたの視点を広げるお手伝いができたらと思っています。